Self-Reference ENGINE
未発表(2018年)
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もっとも影響力のあるアンビルド・プロジェクトのひとつがル・コルビュジエのいわゆる「ドミノ」であることは、ほとんど疑いようのないことだと思われる(Fig. 1)。「家 domus」と「革新 innovation」からの造語で、正式には「Maison Dom-ino」(1914-15)と書くこのプロジェクトは、第一次世界大戦によって瓦礫と化したベルギー及びフランスの再建を目的として発案された建設システムであった。この型枠のいらないコンクリート・スケルトン[1] を手早く展開し、戦争によって発生した瓦礫を用いた間仕切りや外壁を、住民による自助建設によって設置する。なるほど、戦後の資材不足にも、人材不足にも、瓦礫と化した都市のクリアランスにも対応しうる「革新的」な住居建設プロジェクト、というわけだ。
裏を返せば、建築家の役割を構造体=フレームの設置に還元しえたのは、こうした地政学的な条件があったからこそであった。ドミノは骨組だけの建築物を美的に称揚していたわけではないし、コンクリートスラブによる滑らかな水平面を言祝ぐためのプロジェクトでもない。あったのは状況に対する極めて現実的な対応である。だからこそこのプロジェクトの評価は、世界を文字通り木っ端微塵にしてしまった人類史上初の世界大戦という大事件があったからこそ生まれた建築家の建物への新しい「介入方法」としてなされるべきだ。とすれば、住民による自主的な増設を前提としたアレハンドロ・アラヴェナによるソーシャル・ハウジング[3] やアテネのPolykatoikia [4] こそが、まさにメゾン・ドミノ的なプロジェクトだと見做されるだろう(後者に関しては問題含みだが)。ドミノは単なるスケルトン/インフィルの萌芽的なプロジェクトではない。プロジェクトの勘所は住民自身による自助建設と、ドミノ・ゲームよろしくジグザグに繋げられ、粘菌のように自己増殖していくその運動である(Fig. 2)。
かつてピーター・アイゼンマンは、このインテリアとレイアウト双方における「自己成長作用」が、あの有名なパースペクティブ(Fig. 1)に“過不足なく”表現されていることを指摘した[5]。アイゼンマンによれば、このパース図には機能的にも構造的にも説明できない不可解な点がある。たとえば柱とスラブの関係がスラブの短辺と長辺で異なっているのはなぜか? 一番手前の基礎ブロックが床スラブからはみ出しているのはなぜか? 階段のとなりに不可解な「切り欠き」があるのはなぜか?
ドミノは3枚の水平スラブ、6本の柱(図面では8本)、6つの箱型の基礎ブロック、そして1つの階段ユニットから構成されている。この単純な構成はあくまで状況への合目的的な解答として示されたもの、というのがもっともスタンダートな解釈だろう。しかしアイゼンマンは、上記の不可解な点はいかなる機能的・構造的・構法的要請にも動機づけられていない「意図的な冗長性 intentional redundancy」であるとし、これを「自己言及のサイン self-referential sign」として位置づけた。
「サイン=徴候」というからには、これらは何かを指示しているはずだ。アイゼンマンの議論を概観してみよう。
1. キャンチレバーの限界値 スラブ短辺からの柱のセットバック距離と長辺からのセットバック距離が異なっているが、これを機能的な理由から説明することは難しい。ただ少なくとも短手断面図における水勾配の検討から、短手方向にはこれ以上スラブが延長しないことは伺える。よって長辺におけるスラブの張り出しは、この当時としては最新鋭の(ほとんど無謀に近い)フラットスラブと柱のみによるコンクリートフレーム構法の、キャンチレバーの構造的な限界値を表明・図式する役割があると考えられる。
2. 前方に延長するサイン 他方、短辺はキャンチしておらず、突然バッサリと切断されたように描画されている。この切断はパース手前における別ユニットへの接続が「たまたまここで切られた」という表現であり、これによって長手方向の延長可能性が提示されている。加えてパース図手前の基礎ブロックが一階床スラブからはみ出していることも、そこに別のスラブが鎮座することを示唆する。
3. 後方に延長するサイン 階段横のコーナーに不自然な切り欠きが存在しているが、1及び2を踏まえると、階段の手前半分まではスラブのキャンチレバーであり、もう半分は外部から付加された要素だと捉えることが最も無理のない解釈である。この切り欠きによって、画面奥へと、直角方向の回転及びずれを伴いながら延長していくイメージがもたらされる(Fig. 4)。直線的な接続だけではなく、方向転換できるシステムであるということの宣言(Fig. 2)。
要約すると、無限に続きうるようなシステムを、実に中途半端な位置で意図的に「切断」しているのがあのパースであるということである。その結果として生じるのがあのどうにも納まりの悪い──謎めいているが故に自己言及的に作用する──細部の表現だ、と。これによってパース図は自身が無限に反復しうるシステムの1ユニットであることを主張するのだが、重要なことはこういった内容が柱やスラブ、階段や基礎といった“物のありよう”だけで説明されていることだ。これらは何も象徴していないし、何か特定の意味を指示しているわけでもない。が、要素間の相対的な差異が契機となることで、ユニットが次々と接続されていく運動が想起される。
ドミノが突出したプロジェクトであるのは、こうした表象レベルでのアイデアがシステムの運用方法(住民による自助建設とユニットの粘菌的な連結)それ自体と響き合っていることだ。ドミノ・システムは、ぼくらがそれを“見るような仕方”で、駆動する。これは例えば、クールベの絵画を見るときに生じる現象とよく似ている。クールベの絵画で特徴的なのはメディウムの生々しい艶だが、この絵具の光沢は、絵画の内容とはまったく別に、厚みをもった物質がまさにそこに存在しているというリアリティを見る者に与えるはずだ。この事実は、クールベの描いた労働者や農夫の過酷な労働環境をより生々しく、リアルなものにする。ただでさえ写実的に描かれたイメージを「まさに目の前に存在している」ものにする。労働者のイメージと、光沢のあるメディウムの物質感は、本質的には何の関係もないのに、である。しかし見るという行為は両者を結びつけてしまう。観念的なモチーフしか扱われず、かつ筆致を消すような仕方で描かれていた当時のアカデミック絵画へのカウンターとしてクールベが企図したのはこの、絵画の内容とメディウムの物質性が連帯することによる強烈なリアリティの喚起だったはずだ。
クールベの絵画におけるモチーフとメディウムの関係と同様に、ドミノの描写のされ方(ユニットの切断の仕方)とシステムの運用の仕方は本来は何の関係もないが、「見る」という行為において両者は連携し、革新的な建築と都市のヴィジョンを鮮やかに提示する。そういう意味でコルビュジエのドミノは19世期の西洋絵画の発明を正当に引き継いでいるようにぼくには思われる。「見る」という行為の能動性を含み込んだダイアグラムが、ここで提示されているものだ。
さて、ドミノにおける「自己言及サイン self-referential sign」とは、要するにひとつのユニットの描写のみでシステム全体の運用方式を想像させるための表象レベルでの工夫だったはずなのだけれど、コルビュジエがヤバイのは、こうした絵画的なアイデアを実際の建設へと“短絡”してしまったことだった。それはつまり、事後的な意味の生産や運動の発生の契機となる“物のありよう”を、欠落と余分の同時性を、謎に満ちた細部を、そして中途半端な位置での「切断」を、現実の建物の構成として実装するということだ。これは建築を「生成の現場」としうるひとつの方法であり、モダニズムというプログラムの──ぼくらが批判的に検証すべき──ひとつの核心にほかならない。
註
1 加藤耕一による次の論考も参照のこと。
第9回:20世紀様式としてのフレーム構造構築から見た建築の過去・現在・未来西洋建築史のなかに現代建築を位置づけようと思うと、現代のフレーム構造の特異性が際立ってく10plus1.jp
2 Fig. 1-3: Le Corbusier and Pierre Jeanneret: oeuvre complète volume 1, 1910–1929, A.D.A.Edita Tokyo, 1979.
3 https://www.archdaily.com/10775/quinta-monroy-elemental
4 https://www.domusweb.it/en/architecture/2012/10/31/from-dom-ino-to-em-polykatoikia-em-.html
5 Peter Eisenman: Aspects of Modernism: Maison Dom-ino and the Self-Referential Sign, Oppositions 15/16, 1979, pp. 189-198.
なお、日本語で読める文献としては、高橋堅「自己言及モデル」(『建築文化 2001年10月号』)が詳しい。