建築理論についてのパラグラフ
未発表(2018年)
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建築意匠論や建築理論研究というのは、平たくいえば、「みたまま」の建築物についての研究をおこなうということだといえる。このとき、柱 / 配管 / 壁紙 / 窓 / 外装材 / 階段 / 暖炉など、経験において知覚されるあらゆる要素は(ひとまず)フラットに扱われ、経験からどういった全体が立ち上がるのか、ばらばらな知覚を統制する形式はなんなのか、といったことについて考察が進められることになる。
建築物を背後で下支えする基礎や構造体、室内環境を整える設備とは異なる、建築物の「単にみたままの形態」について向き合うこと。この問題設定はとても素朴なものだけど、だからこそ実証的な研究が難しい分野となっている。であれば、各建築家が法規に触れない範囲で好き勝手に形態をつくっていればいいのかというと、そうはいかない。次々と生産される建築物の「かたち」は、建物の知覚経験にまつわる最もアクチュアルな条件であり、ときには我々の行動を規定する空間的な制度となるものであって、さらにはそれらが集合することで具体的な都市景観をかたちづくるという問題も抱えている。設計者はつねに、主観的かつ無意識的な経験と設計する際の客観的な構造を結びつける、という難題をかかえているわけだ。建築物を「たんに見たまま」に見つめ、そこで得た知見を理論の方へ送り返すこと。「みること」と「つくること」の間にまだがるインフラを整備すること。これが意匠論の使命である。
では建築における理論とはなんなのか。これもまたなかなか定義するのは難しいのだけど、ぼくはひとまず次のようの考えている。まず、建築の設計とは無数の選択の積み重ねである。屋根の勾配をどうするとか、部屋の分割や天井高をどうするとか、素材は何にするかとか、そういった無数の選択の積みかさねによって、建築物はできている。このとき、質的な判断に加えてサイズ・スケール・プロポーションといった量的な判断が求められるので、事態はよりいっそう複雑になる。とはいっても実は大方、与条件や法規、標準図、構造、施工条件、身体的・計画的な合理性等々と照らし合わせることで、あるいはすでに選択され図面に付置されている他の既製品と折り合いをつける関係で、合理的な選択はほぼオートマティックに決まってくる(というかオートマティックに決定を下せるところから下していかなければ、設計は確実に終わらない)。のだけどしかし建築設計のおもしろいところは、「どちらでもいい」という状況によくよく直面することだ。例えば屋根の形態を決めるときにAとBという選択肢があって、Aの方が雨水の処理は有利だけど、Bの方が採光面では有利であり、機能的には「どっちもどっち」であって、客観的にはどちらの方が良いかの判断を下せないとき(めちゃくちゃざっくりとした例だけど)。「あっちを立てたらこっちは立たない」という状況。判断の「根拠」が工面できず、おもわず立ちすくむとき。事務所の設計スタッフが自分では判断できず、ボスに判断を仰ぐ状況といってもいい。
実は、各々の建築物が固有の性格を獲得するのはこの一点においてであり、建築家が延々とおこなうスタディとは、プロジェクトごとに潜在する「外的な判断基準では正当性を担保できない」ポイントを特定する作業といえるかもしれない。例えば下地の石膏ボードの出隅の処理、みたいな知覚経験に直接は関係のない判断でさえ選択肢の複数性に立ちすくむということはあって、究極的にはそのような状況でさえ、経験を(間接的に)条件づける素材のひとつとして引き寄せて思考されうる。だからこそ、経済的あるいは技術的知見を背景としない意匠論はまったく意味をなさない。重要なのは、合目的的に判断できる箇所の一切合切を特定したあとで、それでもなお残る空白地帯を見つけ出すことだ(それはプロジェクトごとに異なる仕方に潜在しているだろう)。こういう状況における判断の羅針盤のひとつは設計者の感性的な価値基準であるわけだけど、ぼくは建築における「理論」とはそもそもこういう状況に対して差し向けられるものだと思っている。
目の前の選択肢が「どっちもどっち」である状況において、建築家はどのような選択が権利的に可能なのか。大きく分けてふたつの道筋が考えられるだろう。ひとつは経験による判断であり、もうひとつは経験によらない判断である。経験による判断とは、たとえば自分自身が過去に実行した方法を当てはめること(自己模倣=クリシェ)や、他の建築物を参考にして、ときには直接的に引用すること(他者の経験を援用=レファレンス)であると考えられる。また、土着的な意匠を用いることや慣習的な判断を引き継ぐこともまた広い意味での経験的判断であるといえるだろうし、感性的な、あるいは倫理的な判断もまた経験の蓄積を反映したものといえるかもしれない。
その一方で、もうひとつの道筋、経験によらない判断を導くものが「理論」である。理論とはいってみれば仮説であり、ある大きな問題を解決するための理念に基づいて考案されるものだが、一方で未解決の多くの問題を付随するために、プロジェクトを収斂させるというよりは発散させる(ただし、仮説としてのクリシェや仮説としてのレファレンスの使用、ということも考えられる)。そして、理論が物理的な実体を仮構するとき、それは「プロトタイプ」と呼ばれるものとなるだろう。理論は与条件を型にあてはめて結果のアリバイを工作するためのものではない。理論とはいわば多人数参加型のパズルのようなもので、その解決にむけて複数の特殊解を導くものであり、新しい技術や形式を創出する開かれた枠組みを構成する(アルベルティが『絵画論』で定式化する以前の遠近法をめぐる画家たちのストラグルや、バークリーメソッド以前の、ブルー・ノートの発見を巡るジャズ・ミュージシャンたちの創意工夫を思い出そう)。意匠論は、建築物の「たんにみたまま」の姿を追う。ぼくらにできることは、知覚に基づいた建築物の経験的な側面を分析し、そこで得た知見を「理論=仮説」へと投げ返すことで、建築設計における「経験によらない判断」を可能とすることである。経験の条件と判断の条件、その両面を吟味すること。加えて、その両者のどう交通させるかが問題となる[1]。
機能的な説明では正当性が工面できない「どっちもどっち」的状況というのは、設計者がもっとも慎重に取り組まなければいけない問題のひとつでもある。というのもこういった状況は、市場の原理が入り込むことで消費の欲望に簡単に支配されてしまうのであり、さらにいえば政治的な意味が充填される場にもなりうるからだ。同時にこうした状況においては、重要な判断はしばしば設計者の感性的な価値基準によって下されてしまう(そしてその判断が決定的に使い手を束縛する、ということも少なくない)。われわれは“理論”を酷使することによって、こうした場から、消費の欲望も、政治的な抑圧も、感性も、すべて放逐せねばならない。
「みること」と「つくること」の間にまだがるインフラを整備することが意匠論の使命であること、そしてその媒介を担うものが建築理論であるということを、これまで述べてきた。そして理論が、「外的な判断基準では正当性を担保できない」ポイントにおける“経験によらない”判断をもたらすための重要な道具となるということも。
建築理論は先験的な「答え」を導くものではなく、あくまでも仮設的に、一時的に措定される架空の点であり、それは超越論的な主体を、むしろ「解体」するために要請されるものだ。ヒストリシズムにしろコンテクスチュアリズムしろ、それらは結局のところア・ポステリオリな「適応」の手段にすぎなかった。多少おおげさなことをいえば、建築設計における実践的な理論たりうるのはフォーマリズム以外にはありえない。従来の悪名高いフォーマリズムと区別し、ここで提案しようとしているものを「新しいフォーマリズム」と仮に呼称してみよう。ここでの「形式」は、構築的アイデアと計画的な要請を「調停」(止揚)するものではない。換言すれば、「形式」は物質を抑圧し、なおかつその建築を使う際の行動の自由を歪曲するという「妥協点」において規定されるものではけっしてないということだ。あらかじめ固定されたものとして構築的あるいは計画学的合理性を措定し、そこから形式やかたちを導出するのではなく、形式それ自身を自律したものとして扱うこと。ここでいわれる形式は、物質にも人間的な精神にも準ずることなく、両者を結びつける一種の機能(=関数)としてはたらくことで、むしろそれら(物質ないし精神)を状況に合わせて演繹する役目を担う。
プロジェクトごとに潜在している「外的な判断基準では正当性を担保できない」ポイントを確定すること、そしてそこで、ある明快な“形式”をセットすること。それまでひとまず外的基準に即して下していた判断の集積の一切合財は、そこで覆されることになるだろう。プロジェクトはその瞬間、硬直した判断の束が自壊しはじめるその瞬間から、まったく別モノへと生成変化することになる。ここが計画の零地点だ[2]。形式は(恣意的に)措定した問題の解決のために用いられるのではなく、解決すべき問題も、構築されるべきテクトニックも、あてがわれるべきプログラムも、参照すべき歴史も、接続されるべき文脈も、あくまでもこの零地点から事後的に派生し順繰りに提案に実装されていくはずだ[3]。「みること」と「つくること」を交通させるための計画の零地点を見つけ出すために、ぼくらはしかるべき「形式」をそのつど発明し、しかるべきタイミングで提案に実装する必要がある。唯一、その点においてのみ、建築理論は現在でも意味をもちうるのだと、いまはそう思っている。理論-外的な実践を呼び覚ますための足場として、そう、理論は必要なのだ。
註
1 ただし、その交通が内輪だけの、閉塞したコミュニーケーションにならないようには気をつける必要がある。逆にいえば、既存の建築理論=制度によって、何がどう領土化されているのか、という側面を批判していく役割も、大学で建築学を研究している人間である以上引き受けていかなくてはならない。
2 しかし、ここでセットされる形式を絶対化してしまえば、それはまるっきり否定神学となってしまう。そうではなく、ここでの形式は多数のアイデアを産出するための足場であり、複数的なもので、あくまで仮説的なものにすぎない。
3 これは計画の最初から、ある特定の形式をたとえばプランに当てはめるということとは根本的にことなっている。たとえばルネサンス期をとってみても、集中式教会における「円」のとりあつかい(それは理想的なかたちとしてはじめから措定されている)と、ブルネレスキが計画の途上で道具的に用いる「円」のとりあつかいはまるで対照的だ。ここで問題にしようとしていることは、まさに後者にみられるような形式のあり方である。